オヤジの突然変異

我が家の父の職業は水道工事屋さんである。


昔は大企業でホワイトカラーっぽく働いていたこともあるがしいが,突然,思い立ったように配管工になり,以来三十数年間,超零細企業に籍を置いて,ひたすら道路や家を掘り返して水周りの工事をやってきた。


ヒジョーにきつい仕事だったようで,今年の春に引退するまで,重度の腰痛と悪戦苦闘し,アスベスト吸い込んだり,時にリストラされたりしながら,安い給料で毎日遅くまで重労働(たまにデスクワークも)する生活を続けていた。


こういう職業の人はどっちかというと,ゴツくて酒飲みの"アツいオヤジ"というイメージがあるけど,うちのオヤジはそれとは全く異なり,背は小さく,タバコも吸わず,酒は全く飲めない。また,普段はほとんどしゃべらないが,細かいことが気になりやすく,一度小言が始まるとガミガミと止まらない。そのため,大抵の人からは敬遠される。友達もほとんどおらず,夫婦喧嘩も多い。まあ最近は年相応に大人しくなってきたような気がするけど。


そんな感じで,普通の人から見ると,いわゆる"負け組"の基準を十分満たしているような人生だったと思う。


しかし,俺は子供のころ,古くなったうちの家やばあちゃんの家の配管やらトイレやらを自分で直してるオヤジを手伝ったりしたときに,手に職をもってプロとしてやってるオヤジを頼もしく感じ,密かに尊敬していたりした。自分がプログラム書けるようになりたいと思ったのもこういう職人的な部分に影響されたからでもある。


また,安月給で朝から晩まで重労働を続けても,仕事に対する愚痴をこぼさず,真面目に黙々と働き続けていたという姿勢は男としてヒジョーにカッコいいと思っている(まあ,息子という立場のためややフィルターがかかっているかもしれんが…)。オヤジも単に何にも考えてなかっただけかもしれんが,とにかく仕事に対する姿勢は,グダグダで不満タラタラの息子とは大違いで,立派なもんだった。


で,そんなオヤジも今年の春で引退したので,まああとは夫婦喧嘩でもしながらのんびり暮らしてくれればいいやと思っていた。


んが。


先日,母からの電話で度肝を抜かれた。「なんかお父さんが,ボランティアでアフリカに行きたいらしくて,東京にテストと面接に行くらしいからよろしく。」ですって。


おおぅ?


あふりか?オヤジよ,何を血迷った?


話を聞いてみると,どーもシニアボランティアという制度があり,アフリカとかに,水道工事の指導ができる引退した人を募集しているらしく,それに反応してしまったらしい。しかもそのために英会話とパソコン教室に通い始めたらしい。


うーむ。我が父ながら,見事な発想の突飛さである。


いやいや,これが海外経験豊富とか,英語が堪能な人が言い出したんならまだ話はわかります。けど,うちのオヤジは前述の通り,三十数年間広島の片田舎で地味に働き続けていただけの100%純正のただのおっさんである。英語なんか全くしゃべれんし,海外旅行も母に無理やり連れられて一回行っただけ。そのときは人見知りでなんにもしゃべってなかったらしい。さらに,パソコンの操作どころかビデオの録画もできない。


大丈夫かな?どんなもんかとJICAのHPを見てみたが,見れば見るほど不安になる。うちのオヤジがあんなふうに海外で英語で黒人に指導してる姿なんか全く想像がつかん。しかもアフリカなんかで生活できるわけねー。せめてもうちょい英会話ができるようにならんと…


非常にいい度胸だが,チャリンコでF1と勝負するという表現がピッタリな気がする。オヤジは能天気に,まあなんとかなるんじゃない?的なことばっかり言っている。なんともおめでたいおっさんである。


と,今日,数十年ぶりに東京に来たオヤジを心配して,テスト会場までついて行ったけど,予想通り英語ができんかったらしい。まだ結果は出てないけど,どうなることやら。


もし合格したらしたで心配やけど,落ちたら落ちたでちょっと残念でもある。せっかくやりたいと思ったことなら,なんとかがんばって勉強を続けてもらいたい。特に今まで苦労して働いてきたんやから,これからはちょっとでも少しは自分のやりたいと思ったことをさせてあげたい。と非常にドライな息子ながらちょっとそんな気がしている。


まあ今日は東京案内して久しぶりに親子の会話がいっぱいできてよかったかな。もし落ちて行けんようなら,せめてオヤジの遺灰をアフリカの地に撒いてあげよう,とひっそりと思いました。